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<春樹>

 俺が一番後悔していること。それは。
 もっとしっかり勉強していればよかった。そうしたらもう少しいい学校に行けたかもしれないのに?
 もっとちゃんと練習していればよかった。そうしたらあの試合に勝てたかもしれないのに?
 好きになったあの人に思い切って告白すればよかった。そうしたら付き合えていたかもしれないのに?
 違う。どれも、違う。俺が一番後悔していることは――。

 母は、特別ヒステリックというわけではなかった。かといって江美叔母さんのようにいつもニコニコし続けているかといえばそうでもなかったのだが、少なくともあそこまで頻繁に手を上げ声を荒げる人ではなかったはずだ。
 決してあの子だからというわけではなかったように思う。むしろ母親に任せきりにしてしまった環境こそが原因だったのではないだろうか。仕事で忙しかった父がそうであり、また学校に理由を付けていた俺も。
 一体あの、記憶も次第に薄れてしまうほどの時間を、あの子はどんな気持ちで過ごしていたのか。それも、まだ子供で、親が二人とも亡くなってしまってすぐだったというのに。泣いているあの子に、怪我をしてできた傷を手当てするくらいしか俺にはできなかった。ただ見ているだけだった。
 あの子がうちを出ていってから少しして、ある日、男がやってきた。飲食店のホールスタッフと見て取れる格好をしている彼は、あの子のアルバイト先の人間だという。俺と同じくらいの歳に見えたが、しかし事情をそれなりに把握しているほどには親しかったらしい。
「へえ、あんたが……」
 じいっと俺を見たあとに彼が言った。そこには軽蔑や憤然としたものが見え隠れしていて。
 瞬間、顔が真っ赤に染まった。そこで初めて自分の行いを恥じた。あの子が泣いたときでも、怪我をしたときでも、父が母を怒鳴ったあのときでもなく。彼の言葉とその目によって、俺は恥じたのだ。
 もう時間は戻らない。きっと、いや、もう二度とあの子がうちに帰ってくることはないだろう。それでも俺は、またあの子と一緒に過ごす時間が欲しいと切実に思った。
 俺は何も知らない。一体何をして過ごしていたのだろうかと考えてしまうほどに、あの子のことを何も知らない。笑った顔や不貞腐れた表情も何もかも、昔見たことがあるのかもしれないが、今となっては記憶にない。声だって酷くおぼろげで。アルバイトのことだって彼が来て初めて知ったのだ。
 それを、彼は全て知っているのだろう。従兄弟という血の繋がりを持った俺よりも、そんなもの持っていない彼のほうが遥かに多く。彼が抱いている優越感に似た何かにも気付いていた。
 俺たちがあの子についてどうのこうの言う権利などありはしないのだが、なんだか癪だった。自分の行い全てに後悔して、彼の言葉に表情に態度に、彼の何もかも全てが癪に障った。
 それでも悔しいことに、彼の持ってきたケーキはとてもおいしかった。

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